川崎、未来への岐路
市制100年の歩みと福田市政3期12年の検証、次代のリーダーに託される宿題
序章:100年都市、川崎の現在地
2024年に市制100周年という歴史的な節目を迎えた川崎市。155万超の人口を擁するこの大都市は今、次の100年に向けた未来を占う重要な市長選挙の年を迎えています。現職の福田紀彦市長が4選を目指し立候補を表明する一方、新人の國谷涼太氏らが挑戦の名乗りを上げ、12年にわたる福田市政への評価と、都市が直面する課題への処方箋を巡る論戦の火蓋が切られました。
市制施行
100周年
(2024年)
現在の人口
155万人超
政令指定都市
現市政
12年
福田市政 (3期)
人口減少、激甚化する自然災害、そしてグローバルな経済構造の転換という、日本のあらゆる都市が直面する課題の波。これらに加え、川崎市は臨海部の巨大工場跡地の再開発という「100年に一度のビッグプロジェクト」という、独自の、そして壮大な機会と挑戦の只中にあります。
本稿では、この歴史的な選挙を前に、川崎市が歩んできた100年の道のりを振り返り、歴代市長が築いてきた行政の礎と、特に福田市政3期12年がもたらした「功」と「罪」を徹底的に検証します。その上で、次代のリーダーに託されるべき宿題を明らかにし、川崎市の未来を担うべきリーダー像を多角的に描き出します。問われているのは、継続による安定か、あるいは刷新による変革か。市民一人ひとりが、自らの街の未来を託すに足るビジョンと実行力を見極めるための、重厚な判断材料を提供したいと考えます。
第1部:工業都市から「成長し続けるまち」へ – 川崎の歴史的変遷とDNA
1-1. 宿場町から京浜工業地帯の中核へ
今日の川崎市の原点は、江戸時代に東海道の宿場町として栄えた「川崎宿」に遡ります。多摩川の渡し場として賑わいを見せたこの地は、明治維新を経て近代化の波に乗ります。1872年の日本初の鉄道開業に伴い川崎駅が設置され、交通の要衝としての地位を確立。明治末期から大正時代にかけて、その地理的優位性から日本鋼管(現JFEスチール)や味の素といった大工場が次々と進出し、京浜工業地帯の中核としての骨格が形成されていきました。
1-2. 成長の影と克服の歴史
しかし、その成長の道のりは決して平坦ではありませんでした。急激な都市化と工業化は、常に「影」を伴っていたのです。戦後の高度経済成長期には、産業の発展が深刻な公害問題を引き起こしました。「公害の街」という不名誉なレッテルを貼られた川崎市では、市民による反対運動が活発化。この市民の力が、後の革新市政を誕生させ、全国に先駆けた環境対策へと繋がっていきます。川崎市の歴史は、単なる産業発展の物語ではなく、それは、成長がもたらす危機に対し、市民と行政が一体となってそれを乗り越え、より良い社会システムを構築してきた「克服の歴史」そのものです。この経験こそが、今日の川崎市の行政と市民社会に深く刻まれた、強靭なDNAとなっています。
1-3. 歴代市長が刻んだ道標
戦後の公選制導入以降、川崎市を率いてきた市長たちは、それぞれの時代が突きつける課題に真摯に向き合い、今日の礎を築いてきました。金刺不二太郎氏による戦後復興、伊藤三郎氏による公害対策、高橋清氏によるバブル崩壊後の安定運営、阿部孝夫氏による行財政改革。これらの足跡は、復興、環境、財政、改革という、時代ごとの最重要課題に正面から取り組み、都市の持続可能性を追求してきた歴史です。福田市政の12年間も、この文脈の中で評価されなければなりません。
第2部:福田市政3期12年の徹底検証 – 功績と残された課題
2-1. 「市民市長」の実績と評価
2013年、当時41歳の福田紀彦氏が初当選。「市民市長」を掲げ、以来3期12年、福田市政は数々の公約を実現し、高い市民支持率を維持してきました。その実績は具体的かつ多岐にわたります。就任当時、県内ワーストだった待機児童問題では、認可保育所の整備や丁寧なマッチングを徹底し、就任から1年5ヶ月で待機児童ゼロを達成。また、長年の懸案であった中学校完全給食も、3つの給食センターを整備するセンター方式で任期内に実現しました。
福田市政12年の実績評価
2期目マニフェスト達成率
川崎青年会議所の評価に基づく達成率86.8%は、公約実現への実行力の高さを示しています。
待機児童ゼロ達成
就任1年5ヶ月で県内ワーストを返上し、その後4年連続でゼロを維持しました。
中学校完全給食の実現
長年の懸案であった市内全52校での完全給食を、センター方式で任期内に開始しました。
2-2. 川崎版地域包括ケアシステム – 全ての市民を支える先進的モデルの光と影
福田市政が最も力を注いできた政策の一つが、「川崎版地域包括ケアシステム」の構築です。国のモデルが高齢者を中心に据えるのに対し、川崎市のシステムは、高齢者、障がい者、子ども、子育て世代、さらには現時点でケアを必要としない市民まで含めた「全ての市民」を対象とする、極めて先進的かつ野心的な構想です。この取り組みは、「顔の見える関係づくり」を促進し、コミュニティの再構築において確かな成果を上げています。しかし、その一方で、2025年を目前に控え、医療・介護ニーズが爆発的に増大する中で、この壮大なシステムを持続可能なものとして維持・発展させていけるのか、という重い課題も背負っています。
2-3. 財政運営と議会との関係
福田市政下の12年間で、川崎市の財政規模は大きく拡大しました。市税収入は過去最高を更新し続けており、堅調な経済状況を背景とした安定した財政基盤を築いているように見えます。しかし、その内実は楽観を許しません。高齢化の進展に伴い、社会保障関連経費である「扶助費」は増大の一途をたどり、市の財政を圧迫。さらに、ふるさと納税制度による市税の流出額は年間66億円を超え、毎年10億円規模で拡大しており、看過できない財源流出となっています。
川崎市の財政状況
市税収入は過去最高を更新する一方、社会保障費の増大とふるさと納税による財源流出という構造的な課題を抱えています。堅調な経済と迫りくる財政的圧力の板挟みが現状です。
市税収入と社会保障費の推移
市税収入(線)は増加傾向ですが、それを上回るペースで社会保障費(棒)が増大し、財政を圧迫しています。
ふるさと納税による財源流出
2022年度 流出額
66億円
年間10億円規模で拡大しており、市民サービスに影響を与えかねない看過できない問題です。
福田市長は、待機児童問題の解消など、市民が直面する「問題」を具体的に解決する「プロブレム・ソルバー」として高い評価を確立してきました。しかし、川崎市がこれから直面する課題は、単年度で解決できる「問題」ではなく、数十年単位で取り組むべき巨大な「ビジョン」そのものです。4期目を目指す福田市長に問われているのは、卓越したプロブレム・ソルバーが、次なる100年を構想する「ビジョナリー」へと飛躍できるか否か、その一点に尽きます。
第3部:川崎の未来を拓く – 次の100年に向けた重要課題
次の100年を見据え、川崎市は3つの大きな課題に直面しています。これらは市の未来を左右するだけでなく、次期市長のリーダーシップが最も問われる領域です。
臨海部再開発
400ha 東京ドーム約85個分のJFE跡地を、グリーンイノベーションの拠点へ転換する「100年に一度」の事業。
脱炭素社会の実現拠点へ
多摩川流域治水
台風19号の教訓から、堤防強化だけでなく、流域全体で雨水を「貯める・浸透させる」新たな治水パラダイムへ転換。
激甚化する災害への備え
特別自治市構想
県から権限と財源の移譲を受け、二重行政を解消。地域の実情に即した、よりきめ細やかな市民サービスを目指す。
都市の持続可能性の追求
これら3つの巨大な課題は、密接に絡み合った「未来への宿題」です。臨海部再開発と多摩川治水は、ともに巨額の財政支出を必要とします。一方で、市の財政は構造的な圧力を受けている。この状況を打開し、未来への投資原資を確保するための切り札が、権限と財源の移譲を伴う特別自治市構想なのです。次期市長は、これらの課題の相互連関を深く理解し、財政的、環境的、そして政治的なリスクを統合的にマネジメントする、極めて高度な戦略性が求められることになります。
終章:次期市長への提言 – 川崎が真に求めるリーダー像
市制100周年という節目に行われる川崎市長選挙。それは、過去1世紀の歩みを総括し、未来1世紀の針路を定める、極めて重要な選択です。この歴史的な岐路に立つ川崎市が真に求めるリーダーとは、どのような人物でしょうか。それは、単一の能力に秀でた人物ではなく、複数の顔を併せ持つ、複合的な指導者像です。
🏗️
構想力ある設計者
巨大プロジェクトを牽引するビジョン
📋
現実的な管理者
市民生活の課題を着実に解決する実行力
🤝
卓越した合意形成者
多様な利害を束ねる政治力
🛡️
強靭な危機管理者
不測の事態から市民を守る胆力
現職の福田紀彦氏は、3期12年の実績で「管理者」として卓越した手腕を示してきました。その安定感と実行力に、多くの市民や団体が次なる4年間への期待を寄せています。一方で、新たな挑戦者たちは、長期政権の弊害を指摘し、新たな視点からの変革を訴えます。
最終的な選択は、市民一人ひとりの手に委ねられています。このレポートが、川崎市の過去を理解し、現在を直視し、そして未来を託すに足るリーダーは誰なのかを、深く見極めるための一助となることを願ってやみません。